COMMON

  • アメリカのヒップホップアーティスト。コンシャス・ヒップホップの代表的アーティストとされる。
  • 「ライク・ウォーター・フォー・チョコレート」が音楽に社会的意義を求める中産階級に支持され、一線級のアーティストとなった。「BE」に人気を確立。

1
CAN I BORROW A DOLLAR?

1992年。アメリカ、シカゴ出身のヒップホップ・アーティスト。「レザレクション」まではコモン・センスと称していた。当時のヒップホップの先進地はニューヨークとロサンゼルスで、先進地ではないシカゴから出てきているということが強調されている。ジャケットに写っているコモンの帽子はシカゴ・ホワイトソックス。言葉の音感を利用した歌い方が特徴とも言えるが、それよりも「コモンのデビュー・アルバム」という価値の方が大きい。サウンド自体にそれほど大きな特徴がなく、議論を巻き起こすような曲が(他のアルバムと比較して)ないので、コモンのアルバムの中での位置づけは低い。プロデューサーのイメンスロープはノー・IDと同一人物。

2
RESURRECTION

1994年。このころ隆盛だったギャングスタ・ラップ、すなわちニューヨークとロサンゼルスの主流のヒップホップを批判したアルバムとして重視されている。特に「アイ・ユースト・ラヴ・ハー」はヒップホップの商業化、反目・抗争の肯定、煽動、過去の非合法行為の美化に傾いたヒップホップを強く批判している。このような批判は、ニューヨークやロサンゼルスではない場所にいてこそできることであって、コモンがニューヨークやロサンゼルスで活動していたならば大きな議論にはならなかったはずだ。非合法や反社会的な日常が、仮にアメリカのアフリカ系社会の現実だったとしても、それを歌詞に取り上げて「本物を知っているぜ」という態度を取られては、平穏に生活しているアフリカ系や中産階級の白人に支持されない。反社会的行動によって現体制に異議申し立てを行うことは、カウンター・カルチャーとしてのロックやフォーク、ヒップホップの特徴と言えるが、度を過ぎれば「普通のファン」と乖離してしまうのは当たり前だ。これは、現実の追認という態度とは別の話で、ある程度の節度や良識は求められる。

3
ONE DAY IT'LL ALL MAKE SENSE

1997年。このアルバムからコモンに改名。サンプリングされる曲が少なくなると同時に、共演するアーティストが増えた。「レトロスペクト・フォー・ライフ」はフージーズのローリン・ヒル、「ゲッテイン・ダウン・アット・ザ・アンフィシアター」はデ・ラ・ソウル、「オール・ナイト・ロング」はエリカ・バドゥが参加している。スクラッチが多いのはコモンがハウスの発祥地であるシカゴのアーティストであり、プロデューサーのノー・IDもシカゴ出身であることと大いに関係があるだろう。ジャケットはコモンとその母。

4
LIKE WATER FOR CHOCOLATE

2000年。歌詞が社会性を帯び、アフリカ系社会のさまざまな問題について歌っている。ヒップホップが果たす役割、ギャングスタ・ラップに対する批判についても言及する。聞き手の知性や問題意識に訴える歌詞は、ジャンルがある程度成熟した証であり、衰退する端緒ともなりうる。楽しむことよりも考えることに重点を置くと、若者の広い支持を得られず、聞き手の年齢層が高くなるからである。ただ、プログレッシブ・ロックにしろ、プロテスト・フォークにしろジャズのビバップにしろ、聞き手の知性を支持のよりどころとするアーティストは概ね高い評価を得ている。このアルバムも、ヒップホップの世界では高く評価され、コモンが一般のファンにも知られるきっかけとなった。「タイム・トラヴェリン」はアフロ・ビートの先駆者とされるフェラ・クティを称えており、息子のフェミ・クティが参加している。「ザ・ライト」はボビー・コールドウェルの「オープン・ユア・アイズ」、「ペイバック・イズ・ア・グランドマザー」はジェームス・ブラウンの「ザ・ペイバック」をサンプリング。

5
ELECTRIC CIRCUS

2002年。サウンドが多彩になり、楽器のニュアンスを強く残している。プロデューサーとしてザ・ネプチューンズ、ジャズ・ヒップホップのザ・ルーツのドラム、クエストラブが参加。共演も幅広く、P.O.D.のボーカル、ステレオラブのボーカル、メアリー・J・ブライジ、エリカ・バドゥ、ザ・ネプチューンズのファレル・ウィリアムズが参加している。リズム(ドラム)・マシンとキーボード中心のサウンドを転換し、バンド・サウンドに近い。メロディーを大きく残している。「エレクトリック・ワイアー・ハスラー・フラワー」のイントロはサンタナの「ブラック・マジック・ウーマン」を引用していると思われる。「カム・クロース」はメアリー・J・ブライジが参加するヒップホップ・ソウルで、メアリー・J・ブライジもソウル風の歌い方だ。ステレオラブのボーカルが参加した「ニュー・ウェイヴ」も同様にステレオラブのようなサウンド。「ジミ・ワズ・ア・ロック・スター」はジミ・ヘンドリクスを称賛する曲で、ディストーションがかかったギターがバックに入っている。この曲に限らず、ボーカルやギターがロックに近い曲が多い。

6
BE

2005年。11曲で42分。ヒップホップのアルバムとしては収録時間をかなり絞っている。カニエ・ウェストがほとんどの曲をプロデュースしており、事実上コモンとカニエ・ウェストによって方向が決められている。前作とは変わり、リズム(ドラム)・マシンとキーボードとサンプリングでほとんどの曲が成り立っている。ヒップホップの最も基本的な形で録音されている。回転数を早めてサンプリングする手法は極めて特徴的で、カニエ・ウェスト以外のプロデューサーは模倣しにくいだろう。「シャイ・シティ」はシカゴのこと。「ザ・フード」はアルバムの中で1曲だけライブになっている。

7
FINDING FOREVER

2007年。サンプリングされた曲を基礎にして、メロディーの合間にコモンが歌詞を乗せていくオーソドックスなスタイル。前作に続きカニエ・ウェストがプロデュースしている。「ドライヴィン・ミー・ワイルド」はリリー・アレン、「ソー・ファー・トゥ・ゴー」はディアンジェロ、「サウスサイド」はカニエ・ウェストが参加している。「アイ・ウォント・ユー」はブラック・アイド・ピーズのウィル・アイ・アムがプロデュースしている。コモンはギャングスタ・ラップやハードコア・ヒップホップを一貫して批判しているが、それらのアーティストが好むファンクをサンプリングとして使わず、ソウルやポップスを選ぶ。選んでいるのはカニエ・ウェストかもしれないが、選んだ曲については、サビのメロディーを残すなど、その曲のよさを生かした使い方をしている。

8
UNIVERSAL MIND CONTROL

2008年。ザ・ネプチューンズのファレル・ウィリアムスが中心になって制作している。カニエ・ウェストとは1曲デュエットしているだけだ。「メイク・マイ・デイ」「グラディエイター」はポップ。深く考えず、軽く聞くことができる。サウンドとしてはエンターテイメント性のある同時代的なヒップホップだ。

9
THE DREAMER/THE BELIEVER

2011年。