HEAVY METAL KIDS

  • イギリスのロックンロールバンド。キーボードを含む5人編成。
  • ボーカルのゲイリー・ホルトン、ギターのミッキー・ウォーラーを中心とする。1970年代のイギリスのロックでは有名バンドではないが、パンク登場直前の名バンドとして記憶される。
  • バンド名はウィリアム・バロウズの「ノヴァ急報」から採っており、音楽のヘビーメタルとは関係ない。

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HEAVY METAL KIDS

1974年。邦題「ヘヴィ・メタル・キッズ登場」。グラムロックの影響を受けたロックンロールで、同時期のハンブル・パイやミスター・ビッグ(イギリス)、ナザレスに似た、ゲイリー・ホルトンのやや潰れた高い声が特徴的だ。「ハードで行こう」「同じことさ」「これでお別れ」「プレンティ・オブ・ウーマン」「カインド・ウーマン」はギターと同じくらいにキーボードも活躍する。「ロックン・ロール・マン」は8分近くあり、最もハードなロックンロールだ。イギリスでは「同じことさ」、日本では「ロックン・ロール・マン」が代表曲となっている。

2
ANVIL CHORUS

1975年。ギターが交代。ロックンロールらしさやソウルらしさを意識したのか、「ハード・アット・ザ・トップ」「ユー・ゴット・ミー・ローリン」など多くの曲に女性コーラスがつく。「オン・ザ・ストリート」はローリング・ストーンズそのもの。「ブルー・アイド・ボーイ」は展開がよく練られ、このアルバムのA面のハイライトになっている。B面は音楽的にやや冒険したらしく、「ザ・ターク(アン・ウォット・エ・スモークズ)」はギター中心のインスト曲。「クライシス」のキーボードはピアノではなくシンセサイザーをメインにしている。「ザ・コップズ・アー・カミング」は途中に台詞が入る。2009年のCD化ではライブが2曲収録されており、10分を超える「ザ・コップズ・アー・カミング」ではゲイリー・ホルトンのライブの盛り上げ方が分かる秀逸な記録となっている。ハウリングを含んだ低い音質のライブでも、収録する価値がある。「エイント・ナッシン・バット・ア・ハウス・パーティー」はソウルグループのザ・ショウストッパーズのカバーで、このバンドの音楽的ルーツにソウルがあることを示す。音楽界で「アンヴィル・コーラス」とは通常、ヴェルディの「イル・トロヴァトーレ」の「朝の光が差してきた」、通称「鍛冶屋の合唱」のことを指す。

3
KITSCH

1976年。邦題「ヘヴィ・メタルへの誘惑」。キーボードが交代。脱退したダニー・ペイロネルはUFOに加入し、ユーライア・ヒープのジョン・シンクレアが加入。オープニング曲の「ヘヴィ・メタル・キッズ序曲」はシンセサイザーとストリングスを駆使した2分40秒のインスト曲。アルバム全体では従来のピアノ、オルガンの音も使われるが、同時にシンセサイザーやストリングスも使われ、前作までよりも音が軽くなっている。従ってロックンロールの泥臭さは薄くなっている。「熱い叫び」はコーラスにも気を遣い、曲の展開も感じさせるが、4分台に収めた。アルバムの最初の3曲はジョン・シンクレアが作曲に関わっており、アルバムの印象を決定づけている。「悪魔の天使」がヒット。ジャケットの車のナンバープレートはHMK3となっており、ヘヴィ・メタル・キッズの3枚目であることを示している。手前の新聞には「ポップスターが交通事故死」と書かれている。78年のマーク・ボランの死を予言するかのようだ。裏ジャケットはナンバープレートがHMK4となっており、新聞の見出しは「運命の奇妙ないたずら」となっている。このアルバムで解散。

4
HIT THE RIGHT BUTTON

2003年。再結成。ボーカルのゲイリー・ホルトンは亡くなっており、デビュー時のキーボード奏者だったダニー・ペイロネルがボーカルもとる。ギター2人の5人編成。13曲全てをメンバーが作曲しており、ほぼすべての音をバンドの演奏によって構成している。ゲイリー・ホルトンはいないが、名実ともに再結成と言える。前向きな曲が多く、ミドルテンポの「アイ・ウォーク・アローン」「ア・ハンドレッド・スケルトンズ」「ヴォイセズ」、ヘビーロックの「ウィスキー」、次の曲のイントロとなっている「NY・ストリートライフ」以外の8曲はアップテンポだ。ダニー・ペイロネルはオルガン、ピアノ、メロトロンを使い、シンセサイザーを使っていないが、サウンドの泥臭さは感じさせない。曲の幅はそれほど広くなく、新しいサウンドも録音技術も取り入れていない。ヘヴィ・メタル・キッズとしての創作活動の再開を確認するだけの内容にとどまっている。