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URIAH HEEP

初期
1 VERY 'EAVY VERY 'UMBLE 1970年。ボーカルはデビッド・バイロン、ギターはミック・ボックス、キーボード兼ギターはケン・ヘンズレー、ベースはポール・ニュートン。「ルーシー・ブルース」と「ドリームメア」のドラムがアレックス・ネピア、それ以外はナイジェル・オルソン。「カム・アウェイ・メリンダ」と「ウェイク・アップ」のキーボードはコリン・ウッド。キーボードのケン・ヘンズレーはほとんどをオルガンで演奏し、曲を主導している。「ドリームメア」は日本のストロベリー・パスがそっくりの曲を書いている。ナイジェル・オルソンは後にソロに転向し、「涙のダンシング・シューズ」で大ヒットを飛ばす。
2 SALISBURY 1971年。ドラムがベイカールーのキース・ベイカーに交替。ナイジェル・オルソンはエルトン・ジョンのバンドに参加。「黒衣の娘」はドイツで大ヒット。13週間1位だった。コードを2つしか使わず、サビは歌詞がないので、70年代にコピーされるロックの代表的な曲だった。デビッド・バイロンのボーカルと重層コーラスがさえわたり、特に「肉食鳥」は人気が高い。「ソールズベリー」は16分超。ソールズベリーは英国の巨石建造物ストーンヘンジがある場所。「尼僧」や「肉食鳥」が入っていることを考えると、このアルバムの詩は多分に神秘的だ。
黄金期
3 LOOK AT YOURSELF 1971年。邦題「対自核」。またドラムが交替し、クレシダのイアン・クラークになった。日本で最も人気が高いアルバム。ユーライア・ヒープは国によって人気のあるアルバムや曲が異なる。高い音程でのコーラスは曲の緊張感を盛り上げる。「7月の朝」は名バラード。後半のシンセサイザーはマンフレッド・マンがゲスト参加で演奏している。「対自核」の最後のパーカッションは同様にオシビサが演奏。
4 DEMONS AND WIZARDS 1972年。邦題「悪魔と魔法使い」。ベースはニュージーランド生まれでキース・ハートレー・バンドのゲイリー・セイン、ドラムはナショナル・ヘッド・バンドのリー・カースレイクに交替。アメリカではこれが最大のヒット作。「呪文」は彼らのロックン・ロール好きを反映した曲だが、途中の泣きのギターはすばらしい。「安息の日々」はハードロック・バンドによるカバーが多い。ジャケットの左上は猥褻。
5 THE MAGICIAN'S BIRTHDAY 1972年。邦題「魔の饗宴」。3年でアルバム5枚のハイペース。初めてメンバーチェンジなしにアルバムを制作。ジャケットはロジャー・ディーン。ケン・ヘンズレーが書く曲と、他のメンバーが書く曲の明確な違いが分かる。ロックン・ロール風の曲はミック・ボックスで、憂いを帯びたドラマティックな曲はケン・ヘンズレーが作曲している。アコースティックを好むのもケン・ヘンズレーだ。「サンライズ」「スイート・ロレイン」収録。
中期
  URIAH HEEP LIVE 1973年。ライブ盤。2枚組。「ベートーベンをぶっとばせ」から始まる「ロックン・ロール・メドレー」でファンを驚かせる。「7月の朝」はスタジオ盤よりも長くゆっくり。
6 SWEET FREEDOM 1973年。明るい曲調が多くなった。このアルバムは、アメリカン・プログレッシブ・ハード・ロックととらえれば名盤に入るだろう。初期5枚のイメージで見ればポップになったとも言えるが、それは見方の問題だ。「略奪」収録。
7 WONDERWORLD 1974年。邦題「夢幻劇」。このころのバンドはメンバー間の結束が悪かったようだ。しかし、アルバム自体は非常にいい出来で、特にコーラスは過去のアルバムと比較しても上位の部類にはいる。
8 RETURN TO FANTASY 1975年。邦題「幻想への回帰」。ベースがゲイリー・セインからジョン・ウェットンに交替している。曲作りには関わっていない。オープニング曲は久しぶりにハードな曲を持ってきた。4曲目までがアナログのA面、5曲目以降がB面となる。B面はアメリカ志向だ。「去ったのは何故」のメロトロンはジョン・ウェットンが演奏。「ビューティフル・ドリーム」のイントロはムーグの特性を大きく活用している。
9 HIGH AND MIGHTY 1976年。1曲目だけボーカルがジョン・ウェットン。全曲をケン・ヘンズレーとジョン・ウェットンが作曲しているが、これまでそんな曲を書くとは思われなかったケン・ヘンズレーがアメリカン・ロック風の曲を書いている。したがってドラマティックな曲を書くメンバーがいなくなり、初期のユーライア・ヒープのイメージはこのアルバムでなくなったと言えよう。デビッド・バイロンのボーカルはこれが最後となり、バンドの歴史は分岐点を迎えた。
ジョン・ロートン期
10 FIREFLY 1977年。ボーカルは元ルシファーズ・フレンドのジョン・ロートンに替わる。ベースはデヴィッド・ボウイのバンド、スパイダース・フロム・マースのトレバー・ボールダー。高音の外声部を担っていたメンバーが抜けたので、コーラスは控えめだ。このアルバムの聞き所は、これまでケン・ヘンズレーやデビッド・バイロンの陰に隠れてあまり注目されてこなかったミック・ボックスの泣きのギターだろう。「哀れみの涙」収録。
11 INNOCENT VICTIM 1977年。ジョン・ロートンが初めて作曲に関わった「フリーン・イージー」は、ユーライア・ヒープにしては疾走感のある曲。一般的に評価は高くないが駄作ではない。
12 FALLEN ANGEL 1978年。邦題「墜ちた天使」。オルガンとムーグ中心だったケン・ヘンズレーのキーボードに幅が出てきた。トレバー・ボールダーが活躍している。ジョン・ロートンのボーカルはこのアルバムが一番いいのではないか。
メンバー不安定期
13 CONQUEST 1980年。邦題「征服者」。ボーカルが元ローン・スターのジョン・スローマン、ドラムが元マンフレッド・マンズ・アース・バンドのクリス・スレイドに交替。ジョン・スローマンは高音が不安定。「フィーリングス」や「キャリー・オン」はシングル・カットされたら売れただろう。
14 ABOMINOG 1982年。邦題「魔界再来」。ミック・ボックスがバンド・メンバーを総入れ替え。ドラムにリー・カースレイクが戻り、ボーカルは元トラピーズのピート・ゴールビーに替わり、ベースは元オジー・オズボーンのボブ・デイズリーに替わり、キーボードは元ヘビー・メタル・キッズのジョン・シンクレアになった。オルガンを使ったハードな曲で幕を開け、70年代前半のユーライア・ヒープ・サウンド復活かと思いきや、「オン・ザ・リバウンド」はラス・バラッドの、「ザッツ・ザ・ウェイ」はブリス・バンドの(この曲はグラハム・ボネットもカバーしている)、「無情な街の熱い夜」はジョン・クーガー・メレンキャンプの、「ランニング・オール・ナイト」はライオンの、「プリズナー」はスー・サード・アンド・ザ・ネクストのカバー。10曲のうち5曲がカバー。原曲の発表年代も80、81年ばかり。アルバムの傾向はハードなアダルト・オリエンテッド・ロック。
15 HEAD FIRST 1983年。ベースにトレバー・ボールダーが戻る。オープニングはフォリナーの「衝撃のファースト・タイム」に似ている。「ロンリー・ナイツ」はブライアン・アダムス、「ラブ・イズ・ブラインド」はジャニス・イアンではなくジョン・オバニオンの、「ステイ・オン・トップ」は誰かのカバー。音はアメリカのヒット・チャート系バンドと変わらなくなってきた。
16 EQUATOR 1985年。今回はカバー曲なし。ミック・ボックスが言うには「オーバープロデュース」だそうだ。しかし、その前に曲自体が売れ線系ハード・ロックで、プレイの生々しさを重視することにあまり意味がない。むしろ、メンバーだけでこれだけのハード・ロックを書けることに感動する。
  LIVE AT SHEPPERTON 1986年。「夢幻劇」発表後のライブを収録。本来のジャケットは背景が真っ白。「略奪」のあと唐突にフェード・インで「ラブ・マシーン」が始まる。「ベストなライブではないかもしれない。ギターの録音は貧弱」と書かれているが、「悪徳の旋律」「鏡にうつした哀しみ」はこれでしか聞けない。
  LIVE IN EUROPE 1979 1986年。2枚組ライブ盤。ボーカルはジョン・ロートンで、1979年の録音。16曲のうちジョン・ロートンが参加した3枚のアルバムから7曲が選曲されている。オープニング曲の「対自核」はかなりスピーディーに演奏される。ジョン・ロートンは「対自核」や「七月の朝」をかなり崩して歌う。
現編成期
  LIVE IN MOSCOW 1988年。87年12月、真冬にモスクワでのライブ。ボーカルは元グランプリのバーニー・ショウ、キーボードは元グランプリのフィル・ランゾンに交替。新編成での初のアルバムがライブ盤になる。このライブでしか聞けない全くのオリジナル曲が3曲入っている。「肉食鳥」で始まるあたりは、新ボーカルの実力を見せつけるためか。フィル・ランゾンの音はグランプリ時代と変わらない。
17 RASING SILENCE 1989年。「ホールド・ユア・ヘッド・アップ」はアージェントの、「ウェン・ザ・ウォー・イズ・オーバー」はコールド・チズルの、「ライフライン」はル・ルーのカバー。現在のユーライア・ヒープのメンバーになって最初のスタジオ盤で、現在まで音の変化はほとんどない。
18 DIFFERENT WORLD 1991年。「オール・ゴッズ・チルドレン」では児童合唱団を使っている。ユーライア・ヒープとしてはこのような試みは珍しい。平凡な曲が多いように感じられる。
  RARITIES FROM THE BRONZE AGE 1991年。ブロンズ・レーベル在籍時(「ヘッド・ファースト」まで)のシングル、B面曲を集めた企画盤。ボーナストラックを大量に入れたリマスター盤が発売される前は、これがレア・トラック集として重宝された。
  THE LANSDOWNE TAPES 1993年。「ランズダウン」とは初期のユーライア・ヒープがレコーディングしていたスタジオの名前。14曲のうち7曲は前身バンドのスパイスの曲。「マジック・ランタン」はほとんどジャズ。スリー・ドッグ・ナイトのカバー「セレブレイト」は本家に勝る。スパイスからユーライア・ヒープになる時点で大きなサウンドの変化があったことが分かる。
19 SEA OF LIGHT 1995年。各方面で絶賛された久々の傑作。まぎれもなくハードロックで、オープニング曲の「アゲインスト・ジ・オッズ」、「タイム・オブ・レヴィレイション」は復活を示す曲としてラジオでよく流れた。アルバムの前半はハードな曲が1曲置きに出てくる。ギターのミック・ボックス、キーボードのフィル・ランゾン、ベースのトレバー・ボールダーの3人で全曲を作曲している。メロディ楽器であるギターとキーボードの2人がかかわると、音階の広さが曲の高揚感につながる。「フィアー・オブ・フォーリング」のボーカルはトレバー・ボールダー。オルガンの使用率も増えた。メンバー全員にボーカルの表記がある。
  THE BEST OF...PART1 1996年。デビッド・バイロン時代のベスト。
  THE BEST OF...PART2 1997年。ジョン・ロートン時代以降のベスト。
  KING BISCUIT FLOWER HOUR PRESENTS URIAH HEEP 1997年。74年のライブ。
    STILL ’EAVY STILL ’UNBLE 1998年。「ライブ・イン・モスクワ」の未発表3曲のスタジオ録音バージョンを収録(リマスター盤のみ)。
20 SONIC ORIGAMI 1998年。サウンドがアダルト・オリエンテッド・ロック寄りになっている。3曲目から5曲目はその路線。7曲目と8曲目はつながっている。曲の良さは変わらないが、ハードロックのサウンド、前作の「シー・オブ・ライト」の路線を期待したファンは物足りなさを感じるだろう。サバイバーのジム・ピートリク作曲が1曲ある。
  EASY LIVIN' SINGLES A'S&B'S 2006年。デビュー時から1983年の「ヘッド・ファースト」までのシングル盤収録曲を集めた企画盤。2枚組43曲収録。最後の4曲は1989年の「レイジング・サイレンス」のころの曲を収録している。当然ながらアルバム未収録曲が多い。
21 WAKE THE SLEEPER 2008年。ドラムが交替。オープニング曲の「ウェイク・ザ・スリーパー」が「シー・オブ・ライト」の「アゲインスト・ジ・オッズ」以上にハードで、ハードロック・ファンの期待に応える。キーボードのほとんどがオルガンになっている。8曲目までギターのミック・ボックスとキーボードのフィル・ランゾンの共作。この組み合わせが現在のユーライア・ヒープの核であることに間違いない。この路線であと2、3枚出せば、バーニー・ショウ時代の黄金期を迎えると言ってよい。
22 INTO THE WILD 2011年。70年代初頭から活動し、今でも新アルバムを出す数少ないバンドになった。バーニー・ショウのボーカルとオルガン、コーラスがあればユーライア・ヒープのサウンドになる。ミドルテンポの曲はあるがバラードはない。新基軸を打ち出すのは難しいが、ロックの勢いを保っていればまだ一線で活動できる。


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