1991年。ギター2人の5人編成。ボーカルはエディー・ヴェダー。この時期にアメリカのシアトルから出てきたので、ニルヴァーナと同じグランジ・ロックのバンドとして人気を得た。ロックに与えた影響の巨大さはニルヴァーナの方が大きく、パール・ジャムは同時代の対抗馬とされた。この年はニルヴァーナの「ネヴァーマインド」が出た年で、サウンドは特にグランジ・ロックというほどではない。むしろオーソドックスなロックで、ヘビーメタルと認識されなかったのは幸運だった。「アライヴ」「ジェレミー」収録。全米2位、1100万枚。
1991年。サウンドガーデンのボーカルとドラム、パール・ジャムのギター2人とベースで結成されたバンド。プロジェクトのようなバンドで、サウンドガーデンとパール・ジャムがグランジ・ロックの代表的なバンドとして売れていくのはこのプロジェクトのあとである。明るさがあまりないというところは元のバンドと同じ。もともと、パール・ジャムのギター、ストーン・ゴッサードが在籍していたバンド、マザー・ラヴ・ボーンのボーカルが死亡したことに伴う追悼プロジェクトである。サウンドガーデンのボーカル、クリス・コーネルがグランジ・ロック最高の歌唱力を発揮している。日本盤は1993年発売。
1992年。「アライヴ」はライブ、「イーヴン・フロウ」は再録音バージョン。「ウォッシュ」「ダーティー・フランク」はアルバム未収録曲。「アライヴ」のヒットによってパール・ジャムが世界的に知れ渡るようになった。
1993年。暗く、沈鬱で、グランジ・ロックで最もイメージされやすいサウンドになった。楽しいとか明るいとか爽快などという印象はほとんど出てこない。「ドーター」収録。全米1位、700万枚。
1994年。邦題「バイタロジー(生命学)」。前作とは変わり、デビュー盤よりも力強い。グランジ・ロックの沈鬱さはあまりなく、むしろサウンドも曲も格段によくなったと思われるが、ニルヴァーナのカート・コバーンが自殺した後に出たということで判断を曇らされた人が多い。「トレマー・クライスト」「ベター・マン」「コーデュロイ」「スピン・ザ・ブラック・サークル」収録。全米1位、500万枚。
1995年。邦題「ディシデント~ライヴ・イン・アトランタ」。「ディシデント」以外の6曲はライブ。
1995年。ニール・ヤングが参加したシングル。ニール・ヤングのアルバム、「ミラーボール」でパール・ジャムが共演したときに録音された曲。「マーキンボール」は曲名ではなくシングルのタイトル。
1996年。アンプラグドが数年前から流行していたが、このアルバムではアコースティック・ギターがよく出てくる。曲調は「Vs.」に近く、「Vs.」よりは沈鬱さが少ない。虚無感が漂う。「ヘイル、ヘイル」や「ハビット」はハード。「フー・アー・ユー」収録。全米1位。
1998年。前作の路線。攻撃的な曲が見られなくなり、激しいサウンドがほとんど出てこない。もともとこのジャンルはメッセージ性やその内容が重視されるが、サウンド上のとっかかりがなければメッセージも伝わりにくい。「ギヴン・トゥ・フライ」「ウィッシュ・リスト」収録。全米2位。
1998年。シングル盤。
1998年。ライブ盤。全米15位。
2000年。前半はロックだと感じることもできるが、後半は浮遊感があり、そこにニール・ヤングのようなボーカルが乗る。アーティストとしての自由度が高まり、好きなことができるようになった結果がこのアルバムであることが理解できる。日本盤は2枚組。全米2位。
2000年。シングル盤。
2002年。2枚組企画盤。
2002年。前作後半の雰囲気を抑え、ロックバンドらしいサウンドになった。キレのよいギターに珍しさを感じることもあり、横揺れから縦揺れへ重心が移ったようなサウンドだ。エディー・ヴェダーのボーカルだけがパール・ジャムであることを確認させる。
2003年。ライブ盤。
2004年。ベスト盤。
2006年。ロックンロールを主体としたサウンド。メロディーが覚えやすく、ロックンロールをメーンとして演奏するアーティストよりも高い質のロックンロールをやっている。「ライフ・ウェイステッド」「マーカー・イン・ザ・サンド」はすばらしい。ミドルテンポの曲はアメリカのオーソドックスなロックになり、「カム・バック」はヒットしてもよさそうな曲だ。ほとんどが4分以下の曲で、アルバム全体でも50分以下。
2009年。オープニング曲から勢いのあるロックンロールだ。11曲で37分弱。前作の路線をさらに突き詰めたサウンド。「ジャスト・ブリーズ」と「ジ・エンド」はアコースティックギターとストリングスによるバラード。